「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」:メモ

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

Wikipedia:プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神

極東ブログ: 〈書評〉プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(マックス・ヴェーバー)


今まで歴史といえば、先生が教科書を読み上げるだけの退屈な学問というのが僕の印象だったけど、この本を読んで自分の誤解が恥ずかしくなった。
歴史を学ぶということは、複雑に絡み合った因果の鎖をある切り口で解きほぐし、その本質を、人間社会の成り立ちを解明することなんだな。


以下抜き出し。

・・・激しい競争が始まるとともに牧歌は影をひそめ、巨額の財産は獲得されても利息目当ての貸付には向けられず、後から後から事業に投資され、のんびりした、気楽な生活は失せはてて、きびしいそれに冷静さが代わった。・・・〈P77〉

・・・すなわち、世俗的職業のないぶにおける義務の遂行を、およそ道徳的実践のもちうる最高の内容として重要視したことがそれだ。これこそが、その必然の結果として、世俗的に地上労働に宗教的異議を認める思想を生み、そうした意味での天職(Beruf)という概念を最初に作り出したのだった。・・・〈p109〉


「資本主義の精神」っていうのは、単なる倹約魂なんてレベルのものからは生まれない。そんなものは世界各地に見られた。そうではなく、営利を欲し消費を蔑む、そしてそれを義務とするある種の強迫観念がなければ生まれてこない。カルヴィニズムはそれを満たした。
また、「資本主義精神」は資本家すなわち経営者のみに広がったのではなく、末端の労働者をも動かした。それは「労働」という世俗的行為が教会における儀式よりも大事だとするプロテスタンティズムの教えがあったからだ。

「もしも神があなたがたに、自分の霊魂も他人の霊魂も害うことなく、律法にかなったやり方で、しかも、他の方法によるよりいっそう多くを利得しうるような方法を示し給うたばあい、もしそれを斥けて利得の少ない方法をえらぶとすれば、あなたがたは自分に対する召命(コーリング)の目的の一つに逆らい、神の管理人としてその賜物を受けとり、神の求め給うときに彼のためにそれを用いることを拒む、ということになる。もちろん肉の欲や罪のためではなくて、神のためにあなたがたが労働し、富裕になるというのはよいことなのだ」〈P310〉


「労働」によって神の造った世界に価値を生産することが重要なのだから、当然金持ちも働かなくてはならない。また、趣味や娯楽のために金を消費するなど論外である。


その他メモ:
プロテスタンティズムは教会の権威から個人を自由にしたと捉えがちであるが実際はそうではなく、信仰による縛り付けを個人レベルまで高めた。つまり、カトリシズムよりも厳格。
プロテスタンティズムは理性的。その点カトリシズムは魔術的。
・救済されるかどうかは、全能なる神があらかじめ決定している(予定説)。だから労働に励みなさい、と。


追記:
プロテスタントの友人に「予定説は一見とてつもなく理不尽なように見えるけど、どう受け止めてるの?」って訊いてみた。
曰く、「自分たちにキリスト教徒にとって、自分の運命が神によって決定付けられているというのは、自分と神が関係しているということであり、それはこの上ない喜びである。また、自分が天国に行くためではなく、神の栄光を増すために生きるというのは、苦にならない。」とのことらしい。