報道について語るときに忘れてはいけないひとつのこと。

続・「マスゴミ」と呼ばれ続けて(友人座談会編):ITpro

これ読んで思ったこと。ブクマにも似たようなこと書いたんだけど。

なんていうか、マスコミは真実を報道しないとか、意図的に情報捻じ曲げるとか、かといってウェブ上の情報は出所が不明だとか、そんな意見聞くたびに思うんだけどさ。

結局のところ、たかだか一人の人間が直に触れることのできる情報量って、たかだか知れてるんだと思う。
数十人の仲間とマンモスを狩ってる時代なら、それでよかったのかもしれない。けれども時代が移ろい、社会が複雑化するにつれて、それでは足りなくなってきてしまった。だから情報を収集、整理、報道する機関が必要になる。

そして、その編集作業をマスコミという権威にやらせようと、アナーキーなウェブにやらせようと、直接情報に触れられないって言う点では同じなわけで。


終戦のローレライ」のワンシーン。ネットで入手したイラク戦争の情報を得意げに話す健人に、姉の弥生がこんなことを言っている。

「あのね。ケータイで真実がわかれば世の中苦労はないの。イラクなんて、日本から見たら地球の裏側みたいなとこにあんだよ?向こうの人がどういう生活してるかとか、どんな草が生えてて、どこに川が流れてるかとか、あんたなにも知らないでしょ。そういうとこで起こってることを、出所の怪しい書き込み読んだだけでわかった気になるなって言ってんの。ネットなんて点と点を結んでるだけで、地球の大きさは昔っから変わらないんだから」

ここではネットについてのみ言及してるけど、本質的には他のメディアも同じだろう。ぼくたちは、すべてを知ることなんて絶対にできない。

そのことを、忘れてはいけないんだと思う。