「悲しみよこんにちは」
- 作者: フランソワーズサガン,Francoise Sagan,朝吹登水子
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1955/06/25
- メディア: 文庫
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主人公のセシルは17歳の女の子。僕より1つ上だけど、ちょっと幼い。洗練されてしまったものより、発展途上のもの、倦怠感の漂うものが好き。それから独占よくも強い。パパを取られたくない、あるいは聡明で気高いアンヌがちょっとうとましい。いやもちろんセシルはアンヌが大好きなんだろうけど、それでも憎らしさがあるんだろうな。それでドタバタやると。セシル萌え。
全体的にひどく官能的というか、妙にえろいんだな。性描写もそうだけど、雰囲気全体が。海も、ヨットも、陽光も、砂浜も、高速道路も、なんかゆらゆらとして艶美。それと対照的なのがセシルの幼さ。上にも書いたけど、セシルは大人になりきれてない。そしてその狭間で苦しむセシルの純真さや蒼さがとてもきららかでいじらしい。嫌な奴なんだけど、やっぱり憎めない。出版当時はセシルの小悪魔ぶりに批判が殺到したそうだが、まあ若さへの嫉妬だろう。あたりくじだけのくじ引きがしたい、そんな気持ちはまさに女の子特有のものなのかな。男の僕にはちょっとわからない。
そしてラスト。セシルは、大人というものもそれほど強い存在ではないということを知る。セシルが大人として尊敬し、羨み、妬んでいたアンヌも、いわば大きな女の子だった。もろくて繊細で儚げな少女だった。セシルと同じだった。同時に、セシルは自分が恋人を愛していたのではないと気づく。そして皮肉にも、この経験を通してセシルは悲しみを知り「大人」になる。ここでいう悲しみっていうのは、心を引き裂かれるようなそれでも、寂しさに似たそれでもない。人生の、世界の根底にある、ある種の「どうしようもなさ」に対する妥協と受容に満ちた、そんな類の感情だ。
とにかく美しく、なよやかな小説。いつか原書で読めたら、そう思える一冊だった。