「悪霊」

悪霊(上) (新潮文庫)

悪霊(上) (新潮文庫)


井桁研究室:ドストエフスキイと聖書

悪霊 (ドストエフスキー) - Wikipedia

分け入つても分け入つても本の山 「悪霊」

わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 悪霊(ネタバレまくり)

ドストエフスキー 『悪霊』

ロシアが気になる : ドストエフスキー 『悪霊』 


〈冒頭の言葉〉

「どうあがいても わだちは見えぬ、
 道踏み迷うたぞ なんとしょう?  
 悪霊めに憑かれて 荒れ野のなかを、
 堂々めぐりする羽目か。
 ……………………
 あまたの悪霊めは どこへといそぐ、
 なんとて悲しく歌うたう?
 かまどの神の葬いか、
 それとも魔女の嫁入りか?」
      プーシキン 

そこなる山べに、おびただしき豚の群れ、飼われありしかば、悪霊ども、その豚に入る事を許せと願えり。イエス許したもう。悪霊ども、人より出でて豚に入りたれば、その群れ、崖より湖に駆けくだりて溺る。牧者ども、起りしことを見るや、逃げ行きて町にも村にも告げたり。人びと、起りしことを見んとて、出てイエスのもとに来たり、悪霊の離れし人の、衣服をつけ、心もたしかにて、イエスの足もとに坐しおるを見て懼れあえり。悪霊に憑かれたる人の癒えしさまを見し者、これを彼らに告げたり。
      ルカ福音書、第八章三二|三六節


〈その他抜き出し〉

あなたが無神論者なのは、あなたが坊ちゃんだからです。あなたが善悪のけじめを失ったのは、自国の民衆を理解することをやめたからです。民衆の心のただなかから新しい世代が生まれてきているのに、それはあなたにも、ヴェルホーヴェンスキー父子にも、ぼくにも見分けられない。というのは、ぼく自身、坊ちゃんだからです、お宅の農奴の下男パーシカの息子であるぼくも・・・・・・いいですか、労働によって神を手に入れるのです。本質のすべてはここにあります、さもないとあなたは、醜い黴のように消えてしまいますよ。労働で手に入れるのです

シャートフからスタヴローギンへ。「労働」は身体性のこと?

「ばかな。火事は頭の中で、屋根の上じゃない。あの男を引きずりおろして、何もかも打っちゃってしまえ!打っちゃったほうがいい!成行きにまかせるんだ!おい、まだだれか泣いているぞ!婆さんだ!婆さんが泣いているのに、どうして婆さんを忘れてきた?」

ニヒリズムはすべてを灰へと帰す。何も生まない。

私は生涯にはじめて、痛切に自分を定義してみたのだった。すなわち、私は善悪の別を知りもしないし、感じてもいない男である、たんにその感覚を失ってしまったばかりでなく、善も悪もない男なのだ(これは私の気にいった)、あるのは一つの偏見だけ。また私はすべての偏見から自由になりうるのだが、その自由を手に入れた瞬間、私は破滅する。これは、はじめて一つの定義として意識されたことだったが、それがほかでもない、お茶を飲みながら、連中を相手にばか話をしたり、わけもなく大笑いをしていた最中に意識されたのであった。

「私には見える……現のように見える」チホン派魂を刺しつらぬくような声で叫んだ。その顔には、このうえもなくはげしい悲しみの表情が浮んでいた。「いまだかつてあなたは、哀れな、破滅した若者よ、新しい、さらにさらに強烈な犯罪に、いまこの瞬間ほど近くたっておられたことはありませぬぞ!」

スタヴローギンの告白より。

ところが、みなさん、それはちがうのです。シガリョフ氏は実に真剣に自分の課題に没頭しておられて、しかも謙虚に過ぎるくらいなのです。私は彼の著書を知っています。枯葉ですね、問題の最終的解決策として、人類を二つの不均等な部分に分割することを提案しているのです。その十分の一が個人の自由と他の十分の九に対する無制限の権利を獲得する。で、ほかの十分の九は人格を失って、いわば家畜の群れのようなものになり、絶対の服従のもとで何代かの退化を経たのち、原始的な天真爛漫さに到達すべきだというのですよ、これはいわば原始の楽園ですな、もっとも、働くことは働かなくちゃならんが。人類の十分の九から意志を奪って、何代もの改造の果てにそれを家畜の群れに作り変えるために著者が提案しておられる方法はきわめて注目すべきものであり、自然科学にのっとったきわめて論理的なものです。

マッチョ主義。

「彼のノートはいいですよ」とヴォルホーヴェンスキーはつづけた。「彼はスパイ制度を提唱しましてね。つまり、社会の全成員がおたがいを監視して、密告の義務を負うわけです。(中略)何より大事なのは――平等です。(中略)高度の能力など必要ない!(中略)これがシガリョフ主義です!」

共産党一党独裁

「自分自身より限りもなく正しく、かつ幸福なものが存在しているのだとたえず考えるだけで、ぼくの心はもう言い知れない感動と、それから――栄光に充たされるのです。おお、このぼくがたとえ何者であろうと、ぼくが何をしようと、それはもうどうでもいい!人間にとっては自分一個の幸福よりも、この世界のどこかに万人万物のための完成された、静かな幸福が存在することを知り、各一瞬ごとにそれを信じることのほうが、はるかに必要なことなのです……人間存在の全法則は、人間が常に限りもなく偉大なものの前にひれ伏すことができたという一事につきます。もし人間から限りもなく偉大のものを奪い去るなら、人間は生きることをやめ、絶望のあまり死んでしまうでしょう。無限にして永遠なるものは、人間にとって、彼らが今その上に住んでいるこの小さな惑星と同様、欠かすべからざるものなのです……友よ、すべての、すべての人たちよ、偉大なる思想万歳!永遠にして無限なる思想万歳!二院減は、だれであれ、偉大なる思想の現れであるものの前にひれ伏す必要があるのです。どんな愚かな人間にも、何らかの偉大なものが必要です。ペトルーシャ……ああ、ぼくはあの連中みんなともう一度会いたい!彼らは知らない、知らないんです、彼らの中にも同じく永遠にして偉大なる思想が蔵されていることを!」

「しかしながら私は宣言します」興奮の極に達したステパン氏は金切り声をふりしぼった。「私は宣言するものです、シェイクスピアとラファエルは――農奴解放より上である、国民精神より上である、なぜなら彼らはすでにして成果、全人類の真の成果であり、おそらくは存在しうる限りの最高の成果だからであります!すでに達成された美の形態、いや、この達成なくしては、生きることをさえ、おそらく、私は肯じないでありましょう……おお、なんたることだ!」

ステパン氏(ピョートルの父、旧世代)語録。


〈その他〉

社会主義は主として無神論の問題である。無神論に現代的な肉付けをした問題である。地上から天に達するためではなく、天を地上へ引き下ろすために、神なくしてたてられたバビロンの塔だ。

カラマーゾフの兄弟」より