「コレラの時代の愛」

コレラの時代の愛

コレラの時代の愛

「純愛」という言葉がチンプかつチープになって久しいが、それでもこの小説を表すにはこの言葉を使うしかないだろう。


永い話だ。長いんじゃなく、永い。出会い、文通、婚約、破綻、別れ、結婚、不倫といった、なんてことのない断片的なエピソードが延々と500ページも続く。きわめて退屈だ。退屈だけれども、面白い。それはやはり、読者の五感に訴えるような緻密・細密で繊細な描写のおかげだろう。
例えば書き出し。「ビター・アーモンドを思わせる匂いがすると、ああ、この恋も報われなかったのだなとつい思ってしまうが、こればかりはどうしようもなかった。」という一文で物語は始まるのだが、ここだけみても非常に濃厚で重圧な感じがよくわかるだろう。これがずっと続くのだ。ぴりぴりとした刺激はないが、ゆったりと深く味わえる小説だといえる。

登場人物たちは悩む。体面に、束縛に、性欲に、嫉妬に、生きることに。不倫もすれば殺人もある。アリーサの行動は、はっきりいってストーキングだ。決して道徳的にほめられたものではない。正直、不愉快に思うシーンもあった。それでも憎むことはできない。彼らは患者なのだ。「愛」というコレラのような病気に、正面から立ち向かう挑戦者なのだ。

そして最後。

「川をのぼり下りするとしても、いったいいつまで続けられるとお思いですか?」
フロレンティーノ・アリーサは五十三年七カ月十一日前から、ちゃんと答を用意していた。
「命の続く限りだ」と彼は言った。

鳥肌が立った。現実を見据え、その上で闘うことを、闘い続けることを決意した言葉。遠くを眺めるような瞳が目に浮かぶ。


映画も見てみたいなぁ。